震度7、マグニチュード6.5、深度11km。
熊本地震は、どんなに大きな揺れだっただろう?
聞いた話だと、
ベッドに寝ていたのに、
気づけばベッドごと立ち上がっていたと言う。
2017年6月15日
ご多用中にもかかわらず、
現地でボランティアの受け入れ・紹介をされていた
Kさんに南阿蘇で被害の大きかった場所へ
連れて行って頂きました。
特に大きな爪痕となったのは
阿蘇大橋。
地震の前に訪れた事がなければ 理解に時間がかかる。 以前は、 上の写真の左手前から、写真右奥まで橋がかかっていた。 今は橋の付け根しか、残っていない。 全て、渓谷の中に落ちてしまった。 それだけじゃない。
向こう側の斜面は、大規模に山肌が崩れた。 地震後、取水口からの水が出たままになっていた影響が大きいとか。 この土砂崩れで、向こう側の山沿いに走っていた道路は 寸断された。
この裂け目を見るだけで、足がすくんでくる。 震度7とはどれだけの力なのか。
これはすぐ近くの東海大学の駐車場。 ここを訪れる度に、地面が傾いているのを感じると Kさんはおっしゃる。
人間の作ったものは、一瞬で自然の力に飲み込まれる。 それを目の当たりにした。 南阿蘇に、避難所はもう残っていないが 仮設住宅はいくつか残って、そこに暮らす人もいる。 下の写真は、以前避難所だった広場。 「あそ望の郷 くぎの」 車中とテントに寝泊まりした方も多かった。 コンクリートや、炎天下と湿気の中、 どれだけ沢山の方が 暑さと不安と闘いながら、ここで過ごしたのだろう。
登山家の野口さんが、大量のテントを持ってきて
寄付した話を聞いた事があるでしょうか。
被害の大きかった益城町の運動場には、
そのテント村があったのだとか。
足を伸ばしてくつろいで欲しい思いから。
でも、熱中症への懸念から、
テントは行政に撤去されてしまった。
いつでも行政と個人の思いに
歪みが生まれる。
ただ、目の前にいる人を助けたいだけなのに。
同じ思いだったとしても、
個人の方がスピードが早い。
だからKさんは、行政でもなく、NPOでもなく
個人として被災地に入っていくのだと。
そんな貴重な話を聞けて
本当に感謝だった。
Kさんに繋いでくださった方々にも感謝です。
何かが起きた時、
目の前の状況を何とかしようとする。
それで良い。
それが、明日変わったってしょうがない。
南阿蘇に地震の爪痕はまだ残っているが、
ボランティアはもう必要ない程に復興してきた。
これから、私たちが出来るのは
南阿蘇に観光で行く事。
農家さんを応援する事。
そういう段階に移っているのだと
メッセージを頂きました。
観光に行く際は、
どうかゴミでなく、お金を落として行ってね。
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